際に入居が始まると、いろいろな課題が見えてきた。初期は、気密性の高い鉄筋コンクリート造住宅に住み慣れない住民から冬季の結露が雨漏りと誤解されたり、上階の音響に下階の住人が悩まされる などの問題が指摘されたが、次第に 団地の持つ本質的な問題が露呈されてきた。
公団の開発力は抜群であったので、受け入れた自治体の学校・道路・上下水道などの公共施設の整備やゴミ収集などの公共サービスが追いつかず、自治体は極めて困難な対応を強いられた。また、団地の住民は、従来の地縁的なつながりを残した地域社会とは異なる生活態度を有しており、自治体が経験したことのないさまざまな都市的サービスの要求を率直に突きつけた。公団は各地で精力的に住宅供給に取り組んだのだが、これがかえって自治体からの「公団の建て放し」という批判を拡大し、「団地お断り」を表明する自治体が続出した。住宅団地が地域の総合計画の中に位置づけられそれを受け入れる見通しが立つ前に、緊急に整備されたことが問題の本質であったと考える。このような自治体との不調和の問題は、実は公団を設立する段階からある程度
懸念されていたのだが(「日本住宅公団十年史」p127)、自治体のエリアで計画される公営住宅では解消できない都市圏レベルでの住宅不足に対処する必要からあえて公団が設立されたのだから、公団がこれらの課題を解決することなしにその使命を果たせないのも明らかだった。 |
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表1 昭和30年代における公団による住宅供給(大阪支所管内で500戸以
上の規模のもののみ表示) |