こ う  づ  や

上津屋橋(木津川流れ橋)

伝統的景観を低コストで維持する工夫

下部工にコンクリートを用いながらも従前の景観に配慮して復旧された上津屋橋
 必殺仕事人 中村主水、暴れん坊将軍、水戸黄門とその一行、遠山の金さん、木枯し紋次郎、座頭市・・・・数え切れないほどの時代劇のヒーローが渡った橋、それが上津屋橋、通称 木津川流れ橋だ。今回は、時代劇のロケのメッカとも言うべき上津屋橋を訪れて、伝統の景観を守る取り組みを見た。

上津屋橋は、木津川に架かる歩行者専用の橋梁(自転車とバイクは押して渡れば可)。八幡市上津屋と久御山町佐山を結び、府道八幡城陽線に認定されている。橋長356.5m、有効幅員3.0mはわが国の木造の流れ橋として最大規模のものとされる。流れ橋といわれる所以は、桁と橋脚が固定されておらず、川の水位が床板に達すれば、桁と床板が浮かびあがって流されるようになっていることから。ただし、桁はワイヤーロープで橋脚につながれており、洪水の時は吹き流しのように流れる。洪水が収まった後に引き戻して再架設する。

 図1 洪水時に吹き流しのように流れる上津屋橋(平成24年10月、京都府山城北土木事務所提供)

 橋の架かる両岸は明治時代まで共に上津屋村に属しており、住民の往来が盛んでそのために渡し舟が設けられていた。石清水八幡宮の参拝者もよくこの渡しを利用したという。これが京都府に引継がれて昭和26(1951)年まで
表1 上津屋橋の架橋からこれまでの経緯
架   橋 昭和28(1953)年 3月
第 1回流出 昭和28(1953)年 7〜 9月
第 2回流出 昭和34(1959)年 9月
第 3回流出 昭和36(1961)年 6月
第 4回流出 昭和47(1972)年 7月
第 5回流出 昭和49(1974)年 7月
第 6回流出 昭和51(1976)年 9月
第 7回流出 昭和57(1982)年 8月
第 8回流出 昭和60(1985)年 6月
第 9回流出 昭和61(1986)年 7月
第10回流出 平成 2(1990)年 9月
第11回流出 平成 4(1992)年 8月
第12回流出 平成 5(1993)年 7月
第13回流出 平成 6(1994)年 9月
第14回流出 平成 7(1995)年 5月
第15回流出 平成 9(1997)年 7月
改   修1) 平成15(2003)年 3月
第16回流出 平成16(2004)年 8月
第17回流出 平成21(2009)年10月
第18回流出 平成23(2011)年 9月
第19回流出 平成24(2012)年10月
第20回流出 平成25(2013)年 9月
第21回流出 平成26(2014)年 9月
府営の渡船が運営されていたが、それが廃されて代替としての橋梁が28年に計画されたのだ。当時は府の工事に対して両岸の村が事業費の1/10ずつを負担するルールがあったようで、これを軽くするために簡易な流れ橋としたのだという。
 上津屋橋は28年1月に起工し3月に完成した。ところが、早くもその年の8月15日、 「南山城大水害」と呼ばれる洪水により流出。これを含めて今年までの65年間に21回の流出が記録されている。
路管理者である京都府では、災害のたびに復旧してきたが、その間、流れ橋の景観を保ちつつ流れた時の損傷を軽減する研究を行っていた。平成9年の洪水で流出した4ブロックについて、各径間ごとに主桁と横桁を鋼製の筋交いで連結する「ユニット化」を試験施工した。その後、21年10月の台風18号に伴う豪雨で上流の高山ダムから1,270t/分の放流があったことですべての桁が流され、約150日の工期と約8,000万円の費用をかけて復旧した時には、従来どおりのブロックでは246枚の床板が破損したのに対し、ユニット化を行ったブロックでは床板が流れに乗ってスムーズに浮かび上がり被害は73枚ですんだ。府ではユニット化の効果があったとして、当該復旧では全ブロックでユニット化を採用した。これにより、復旧期間の短縮や復旧コストの削減が期待されるという。
 復旧が容易になるような工夫はしてしているものの、今後とも橋は頻繁に流れることが予想され、流れるたびに半年ほども不通になり数千万円をかけて復旧している事実を見れば、早く永久橋に架替えたほうがライフサイクルコストの点から有利だと思える。が、府は、流れ橋を「文化的にも価値ある生活基盤」として「保守・保全を計画的に行って」いく(http://www.pref.kyoto.jp/yamashiro/kensetu/kensetu/1276663006641.html)としており、永久橋への架替えの意志は見られない。金額には換算できない話題性や希少性も考慮に入れての判断であろう。
 「一般交通の用に供する」道路という視点で見た場合、上津屋橋は、路面の不陸、転落防止設備や照明設備の欠如など、通常 道路が備えておくべき安全性が確保されているとは言えない。が、管理瑕疵を問う動きになる例はないようであり、住民も流れ橋としての現橋を受け入れこれに愛着をもっているようである。
 平成15(2003)年に第2京阪道路の側道が開通し、上津屋橋が流れてもさほど遠回りせずに対岸に渡れるようになった。同年、府が行った調査によると、上津屋橋の1日の通行者数は歩行者416人、自転車320台。生活の足としての重要性は薄れたが、流れ橋は地域の重要な観光資源であり、渡月橋から泉大橋まで通じる木津川サイクリングロード(府道八幡木津自転車道線)の見所のひとつでもある。
図2 上津屋橋の周辺状況
上津屋橋の西にある「四季彩館」は研修や宿泊ができる交流スペース。ここに上津屋橋の歴史や流出の様子が展示してある。サイクリストやウォーカーがグループで訪れ、地元でとれた農産品や菓子などの販売も行われてたいへん賑わっていた。
年、雨の降り方が激しいようで、平成23年から4年間 毎年 連続して流れてしまっている。特に26年の洪水では、流出を想定していない下部工も流失するという被害を受けた。この事態を踏まえ、架橋方法にさらに見直すべき点があるのではないかとの疑問が呈された。府では、より流れにくい流れ橋とすべく「上津屋橋(流れ橋)あり方検討委員会」はじめ多くの意見をもとに、次のような変更を加えて復旧した。 @流出頻度を1/3年から1/5年に低減させるため、橋面を75cm嵩上げ A下部工をコンクリート化 B流木等が引っかかるのを減らすため、径間を平均4.9(3.0〜7.0)mから9.1(8.7〜10.1)mに拡大 C1ブロック当たり約49mで流出していたのを約27mに縮小し、下部工への負担を軽減。
 今回の@〜Cの変更による景観への影響を見るため、それ以前の写真(平成26年 6月撮影)とを比較すると、上下部工の変化はあったものの橋面はもとのままを保持しており、この点において伝統の景観を保つ配慮がなされたことが伺われる。なお、上津屋橋は今後も大きな洪水があれば流れることが見込まれる。被災における復旧を確実に方向付けるために、本橋のデザインコンセプトを明文化しておくことが望まれる。
図3 26年度災の復旧前後の上津屋橋、下部工(左)は橋脚と梁がコンクリートになり(構造的に重要でない控え柱等は木製のまま)木製の上部工(中)は径間中央部が補剛されたが橋面(右)はほぼ従前の景観が保たれている

(2011.08.11) (2014.06.10) (2019.07.02)  

1) 橋脚の頭部を連結する横梁を2段にして補強するとともに橋面を約20cm高くした。