かめのせ
旧亀瀬トンネル
偶然に見つかった「幻のトンネル」を保存・公開 |
偶然に発見された旧亀瀬トンネル(柏原市提供) |
平成28(2008)年11月、近畿地方整備局大和川河川事務所が行っていた地すべり対策事業の途上で、約80年前に崩壊・埋没したと見られていた鉄道トンネルの一部が、偶然
発見された。旧亀瀬トンネルだ。重要な遺構として、安全性が確認できる範囲は保存・公開されている。今回は、河川事務所の催す見学会に参加して学んだ事項を中心にレポートする。 |
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良県に源を発する大和川は、生駒山系と金剛山系に挟まれた「亀の瀬」と呼ばれる狭隘な谷を流れて大阪府柏原市に至る。この区間にはJR関西本線が並行して走っているが、河内堅上〜三郷間では大和川を2回渡って、右岸から左岸に行き再び右岸に戻るという線形になっている(図1)。しかし、建設された当時はずっと右岸を走っていたのだ(図2)。 |
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図1 現在の亀ノ瀬ではJR関西本線が2回 大和川を渡っている、峠地区の等高線が乱れているのにも注意 |
図2 建設当時は鉄道は右岸を走っていた(明治20年測図31年修正) |
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同線を建設したのは大阪鉄道という会社。湊町〜柏原間は明治22(1889)年に開通したが、その先には亀の瀬越えの難所が待ちかまえていた。同社はとりあえず亀の瀬の手前に「亀瀬」仮駅を設置(23年9月)、12月に奈良〜王寺間が開通すると亀瀬と王寺の間を人力車で連絡した。亀瀬トンネル(L=439m)は完成までこぎ着けたものの、異常な土圧のためにレンガの覆工にひびが入っており、崩壊の危険があるとして当局から客車の通過の許可が下りなかった。そこで同社は亀の瀬の東に「稲葉山」仮駅を設け(24年2月)、亀瀬〜稲葉山間を人力車で結んだ。この変則的な営業の解消のために、同社はトンネル改築の許可を受けて25年2月に供用を開始、湊町〜奈良間41.2kmが鉄道で結ばれた。なお、同社は33年に関西鉄道に併合された後、40年に国有化されている。大正13(1924)年には輸送力増強のために複線化され、亀の瀬に新たなトンネルが掘られ(L=703.5m)、奈良方面行きの上り線として使用された。この時に、従前のトンネルも東に延長(L=699m)して線形が改良され、大阪方面行きの下り線として使用されるようになった。
和6(1931)年、これらのトンネルに異変が現れた。トンネル上部に当たる峠地区で9月にため池が枯渇したのに続いて
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図3 破壊した亀瀬トンネル西坑口、レールが撤去された後の地盤のうねりが不気味(地すべり資料館の展示資料による) |
11月には地表に亀裂が発見されたのだ。この亀裂は次第に拡大し、ついには峠地区を中心にして山塊が大規模な地すべりを起こすに至った(7年1月7日)。トンネル内部に亀裂が確認され、レールの湾曲や路盤の隆起が認められたため、1月23日から亀瀬トンネルの下り線が使用停止となって上り線だけの単線運転に。2月1日からは上り線も閉鎖され、トンネルの坑口に仮設された「亀瀬西口」、「亀瀬東口」両駅間を峠越えで徒歩連絡することとされた。そして4日には西口の坑門が断裂・圧壊して坑口が閉塞し、7日からはトンネル内部でも断続的な崩壊が生じた。
地すべりは峠地区の32haに及び、最大累計移動量は水平方向に53m、沈下量は13.54m。この地すべりは奈良県側で深刻に受け止められた。大和川の河床は9m以上も隆起し、水が堰き止められてこのままでは奈良盆地が水没するのではないかという恐怖が住民を襲ったのである。事実、7月には地すべり地の上流で住宅25戸が浸水するという被害が生じた。災害復旧工事は2月から開始されていたが、3月からは内務省の直轄工事に切替えられた。のべ35万人を動員して(その中には朝鮮人労働者も含まれていた)道路の復旧や河川を掘削・拡幅して流量を確保する工事を行った。こうした被害の一方で、地すべり災害の見学者が多い時には1日2万人も訪れ、亀瀬までの貸切列車が走り、徒歩連絡道にはカフェーなどの露天商が出店、見学記念絵はがきも発行された(http://www.town.oji.nara.jp/history/train4.html#timeTable)。
道の分断を解消するため、内務省による復旧工事が開始されたのは4月27日。亀瀬トンネルを修復することは不可能なので、付替えルートが検討された。
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図4 浅い角度で大和川を渡る第四大和川橋梁、川岸に橋脚が設置されたトラス桁や版桁(樹木に隠れて見えにくい)により主桁が支持されている |
種々の比較を行った結果、不安定な右岸側をさけて左岸に迂回させることが6月に決定、明神山の山腹に2本のトンネルと、大和川を渡る2本の橋梁の工事が開始された。新年の伊勢神宮参拝客輸送に間に合わせることを目標として突貫工事が続けられ、とりあえず単線ではあったが12月31日に開通することができた(複線開業は3年後)。
地すべりの影響を避けつつ大和川の流れを阻害しないように付替える必要があったため、大和川を渡る橋梁はおもしろい構造をしている。まず、亀の瀬の西にある第四大和川橋梁は、河川に対して約30度という浅い角度で横断し大阪寄りには半径400mのカーブが入った、橋長L=233mの12径間の版桁橋になっている。大和川の中央に橋脚を建てることができなかったようで、川をまたぐトラス桁や別の版桁で主桁を受けているのが珍しい。
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図5 大和川を斜めに渡るため端斜材が片方にしかない第三大和川橋梁 |
また、三郷駅に近い第三大和川橋梁は、現在は2連のトラスがあるが、上弦が曲線を描いている左岸側の方が当初からあったもの。大和川に対して約55度の角度で渡っているが、ここでも河川条件は厳しかったようで、橋台や橋脚は川の流れに沿って建っている。そのため、トラスの平面形が平行四辺形になっていて、端斜材が片側にしかないのがおもしろい(この形式を「トランケートトラス」という)。
亀の瀬では、昭和26年に峠地区の奥の清水谷地区の約3haで、42〜46年頃にも清水谷地区と峠地区で約53ha、水平移動量26mに及ぶ大規模な地すべりが起こっているが、左岸側に迂回した鉄道は、路盤が少し隆起したものの大きな影響はなかった。
ころで、亀の瀬で地すべりが多発する理由については、ボーリングや調査坑での種々の情報を総括し、今では概ね解明されつつある。当地の地層は、花崗岩類を基盤にして、その上に二上層群と総称される火山由来の 溶岩・火砕岩と礫岩・砂岩が重なっているが、
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図6 亀の瀬付近の層序 |
そのうち、数百年前に亀の瀬の北方にあって2回にわたって噴火したドロコロ火山の溶岩が厚くて重いため、2層の溶岩の下の地層がそれぞれ粘土化し、そこに地下水が供給されて、溶岩層が低い方に向かって滑動しているということのようだ。
一般に、土の挙動を理解する上で、地下水の働きを認識することは極めて重要である。図7に示すように、地下水位より下にある土は、土粒子の間隙が水で満たされている。ここにW の力が加わったとすると、それはかみあった土粒子が伝達(W 1)するだけでなく、間隙水もかなりの分担(W 2)をしている。前者を有効応力、後者を間隙水圧と呼ぶのだが、間隙水圧は地下水位の高さh に関係しているから、この係数をγとすれば、W 1=W -γh
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図7 地下水に満たされた土における土粒子と水の力の伝達 |
となるだろう。従って、有効応力W 1を大きくする(=土粒子がしっかりと力を受け持つようにする)ためにはh を小さくしてやればよい。
このような考えのもとに、地すべり対策工事としては、滑動する土を取り除く排土工、地すべりそのものを物理的に止める抑止工と併せて、地下水を排除することにより地すべりを起こしにくくする排水工が採用される。
亀の瀬は、昭和34年に地すべり防止区域に指定、37年度からは国の直轄事業として大規模な対策事業が進められている。まず排土工としては、清水谷地区を中心に93.5万m3の土塊を除去した。抑止工としては、560本にのぼる鋼管杭の設置が進められた。これは滑り面より下の安定した岩塊に達する杭を設置することにより
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図8 抑止工のイメージ(出典:大和川河川事務所「亀の瀬地すべり対策事業」) |
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図9 上から見た集水井、集水ボーリングから集水井に集められた水が排水トンネルを経て大和川に放流される |
地すべりを止めようとする工法である。さらに、地すべりの推力が大きかったりすべり面が深いなどの理由で通常の杭では対処できない箇所に、直径3.5〜6.5m、長さ30〜96mという世界最大級の鉄筋コンクリート製の深礎工が170基
施工された。 排水工としては、地表排水路2,772mを整備して地下水の浸透を減じたり、横ボーリング7,572m、集水井54基、排水トンネル7,240mにより地下水を排出する工法が採用されている。集水井や排水トンネルからは周囲に集水ボーリングという有孔管(約3,900本、のべ147km)を差し込み、それにより土中の水を取り込んでいる。これらの排水工により地すべり地区外に排出される水は1日でプール1杯に及ぶとの説明であった。
これらの対策の結果、亀の瀬での土塊移動はほとんどなくなり、平成23(2011)年3月をもって主要な事業は完了した。
般 見学させていただいた旧亀瀬トンネルは、平成20年11月、排水トンネルの施工中に見つかったもの。明治時代に掘られた下り線66m(高さ4.6m、幅4.3m)と大正時代に掘られた上り線49m(高さ5.5m、幅4.1m)が確認された。地すべりで崩壊した「幻のトンネル」と思われていただけに、このニュースは驚きをもって受け止められた。このうち、排水トンネルから離れた下り線は、側壁部がイギリス積み、上半部は長手積みという、明治期の煉瓦造りのトンネルの典型的な様式を有しいた。柏原市教育委員会では、地すべり事業完了後の地域整備を待って、重要な遺構として保存・公開していきたいとしている。 |
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(2011.07.20) |
(参考文献) 1.「柏原市史第2巻」(柏原市,1973)及び「同第3巻」(1972)
2. 国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所「亀の瀬地すべり対策事業」はじめ平成23年7月18日の見学会で配付された資料
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