応神14年(4世紀末) |
弓月君が百済から来日して27県の民の救援を求める |
仁徳期 |
127県の秦氏を諸郡に分かち置き、養蚕に従事させる |
5世紀初頭から |
西京区山田から大原野にかけて古墳が数多く築造される |
雄略15年(5世紀末) |
秦酒公(はたのさけのきみ)、絹を朝廷に献じて禹都万佐(うずまさ)の称号を得る |
5〜6世紀 |
秦氏が葛野大堰を築き開発を進める |
欽明1年(6世紀末) |
天皇が、夢に従い深草の人 秦大津父(はたのおおつち)を登用する |
推古11(603)年 |
秦造河勝(はたのみやつこかわかつ)が聖徳太子から仏像を譲り受け、蜂岡寺を建立する |
推古31(623)年 |
新羅・任那の使者が持参した仏像を葛野の秦寺に安置する |
皇極3(644)年 |
河勝が「常世神」騒動を解決する |
大宝1(701)年 |
秦忌寸都里(はたのいみきとり)、松尾社を創建する |
和銅4(711)年 |
秦中家(はたのなかいえ)ら、稲荷社を創建する |
天平12(740)年 |
「広嗣の乱」に際して秦忌寸が騎兵の徴発に応じる |
天平14(742)年 |
秦下嶋麻呂(はたしたのしままろ)、恭仁京に大宮垣を築いた功績により従四位下を授けられ、大秦公(うずまさのきみ)の姓などを賜る |
天平17(745)年 |
嶋麻呂に恭仁京をかたづけさせる |
延暦3(783)年 |
葛野郡の秦忌寸足長(たりなが)、長岡京の宮城を築いた功績により従五位上を授かる |
延暦4(784)年 |
大秦公秦忌寸宅守(やかもり)、長岡京の太政官院垣を築いた功績により従五位下を授かる |