東高洲橋

“本当に動く”可動道路橋を尼崎からレポート

橋桁が跳開する東高洲橋、プレジャーボートが下を通過している
 立体交差がまだ一般的でなかった昭和40年頃まで、鉄道と道路が交差するところに踏切が設けられたように、鉄道や道路が水路を渡る際にはしばしば可動橋が架けられた。今では少なくなった可動橋であるが、その稼働する姿を尼崎市の東高洲橋でみることができたのでレポートしよう。

神工業地帯の中核を担った尼崎市。臨海部では鉄鋼、化学等の基礎素材型産業の立地が、内陸部では一般機械、精密機械等の加工組立型産業の立地が進展し、「ものづくりの町」として知られる。最近は南部を工業地、中部を商業地として純化する方向にまちづくりが進められているようで、JR尼崎駅付近のキリンビール跡地は再開発して商業施設や高層マンションになった。また、かつては公害で有名であったが、汚染の著しかった庄下川が魚の住めるほどに水質が改善したり、「環境首都コンテスト」で上位入賞を果たすなど、近年の環境への顕著な取組みは特筆すべきものがある。
 さて、尼崎では工場地帯の奥深くまで海から運河が掘り込まれ、資材や製品が船によって輸送されていた。また、国鉄尼崎港駅(現在は廃止)が阪神高速3号神戸線の尼崎集約料金所付近にあり、鉄道と舟運の連絡のためにも、運河を導くことが必要であった。一方、道路においては、重量物を運搬する車両があるために大きな縦断勾配を設けることができなかった。そこで、道路が運河を渡る箇所では可動橋(Movable Bridge)が架けられた。
 可動橋とは、橋を架けることにより舟運に支障が出る場合、橋の一部または全部が動いて船舶を通すものである。可動橋の主なタイプは図1の4種類。旋回橋(Swing Bridge)とは橋桁が水平方向に回転する形式。わが国では天橋立にある「小天橋」や首都高速道路羽田線にある「羽田可動橋」が有名だ。大阪市にできた「夢舞大橋」も非常時には旋回するようになっている。昇開橋(Lift Bridge)とは橋桁をつり上げて上昇させる仕組み。通れる船舶の高さに制限を与えるのが難点だ。旧JR佐賀線に残されている「筑後川橋」は国の重要文化財になっている。跳開橋(Bascule Bridge)とは橋桁がはねあがる形式。東京の「勝鬨橋」が有名であるほか、国内で唯一の現役の鉄道可動橋である「末広橋梁」(四日市市)が重要文化財に指定されている。引込橋(Retractable Bridge)とは橋桁を水平に陸上に引込むもの。三池港閘門にこの形式の橋があるそうだ。


 図1 可動橋の主な移動形式

 
 可動橋は、陸上交通が非力な動力によっていた時代には、陸上交通と水上交通が痛み分けながら共存する工夫としてよく採用された。
図2 湾岸線のランプや市のクリーンセンターがあるので東高洲橋の交通量は多い
が、自動車の性能の向上、自動車交通の増加、架橋技術の進歩などに伴い、通行に制約を受け保守に手間のかかる可動橋はほとんど姿を消し、航路を越える大規模な橋梁がいくつも架けられるようになった。
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号湾岸線 尼崎東海岸ランプから五合橋線を国道43号に向かって1kmほど進んだところ、大小の工場が建ち並ぶ中に東高洲橋がある。
 東高洲橋は関西に残る数少ない“本当に動く”可動道路橋。最初は昭和31(1956)年に架けられ、現在のものは41年に架け替えられた2代目である。橋長 46.8m、幅員 9.5mで、右岸側16mが中央部の橋脚を支点にして跳ね上がるようになっている。平時は図-2のように車を通す。1日5回 橋を操作して船を通すことが予定されているが、実際には通過する船がある場合のみ開閉する。開閉のために県の尼崎港管理事務所から出張していた操作員によると、最近は若干のプレジャーボートが利用するのみで、橋を操作する機会も稀だそうだ。                  
図3 公告されている操作時刻


図6 支点の構造はいたってシンプル
図4 橋の操作中は踏切のような警報機と遮断棒が道路を規制する 図5 左岸側から見た東高洲橋、カウンターウエイトのアームを駆動するギアが露出している

(2010.03.24)