豊里大橋 |
A型の塔と2段のケーブルが良いバランスを見せる豊里大橋 |
橋梁の形式の中で、斜張橋は比較的新しく出現したもので、経済性を有し景観にも優れることから、1950年頃から急速に発展した。これには、強度の高い材料の開発や高度な実験による検証と併せて、コンピュータによる構造解析が可能となったことが貢献している。 |
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里大橋は、大阪市東淀川区豊里と旭区太子橋とを結ぶ全長561.4m、幅員19.5m(建設時)の道路橋である。大阪内環状線を形成する国道479号が淀川を渡る位置に当たる。これが完成したのは昭和45(1970)年3月。大阪万博の直前だった。
先の大阪万博に際して、大阪市は、政府認証事業だけで1,975億円、市が独自に実施する事業を含めると2,284億円に及ぶ関連事業の実施を決めた。その60%以上の1,198.5億円は地下鉄の建設に充てられ、約33%の744億円が街路の新設や拡幅事業に充てられた。街路事業のうちでも、会場に通じる新御堂筋(264.1億円)が重視されたのは言うまでもないが、地下鉄千日前線及び近鉄難波線に関連する泉尾今里線(209億円)や阪神高速道路(船場地区)に関連する築港深江線(131.3億円)が大きく、次いで大きかったのが本橋に係る新庄大和川線(38.3億円)であった。本橋は、大阪市東部や守口市・東大阪市等から会場へのアクセスであるとともに、大阪国際空港及び新幹線新大阪駅方面へのルートともなることから、万博の成功に寄与する路線として大いに期待されたのだった。
業は42年10月に東淀川区側の用地買収から始まった。橋梁については、43年5月に低水路部について3径間連続鋼箱桁斜張橋(80.5m+216m+80.5m=377m)にすることに決定し、9月から鋼桁製作に入った。斜張橋とは、桁橋を塔からケーブルで吊った形式。
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図1 豊里大橋主構造部の概要 |
通常の桁橋では実現することがむつかしい長いスパンを飛ばすことができ、軽量で合理的な構造である。塔の形状やケーブルの張り方などに選択の幅が広く、自由度の大きい設計が可能な形式である。
豊里大橋は、大阪市で最初の斜張橋であるとともに、わが国の近代的な斜張橋として摩耶大橋(1966(昭和41)年、支間長139m)と尾道大橋(1968(昭和48)年、支間長215m)に続くものであった。斜張橋は繊細な構造であって、ケーブルを利用した力のバランスをいかに安定させるかが重要である。そこで、京都大学 小西 一郎教授、大阪大学 小松 定夫教授らの助言を受けて、さまざまな検討が行われた。
吊り構造の宿命として、風による振動の影響を受ける懸念がある。そこで、1/20の模型を作って風洞を用いた振動実験を行った。また、現地で風向風速計を設置して自然風の観測を行い、実験との関連づけを行っている。これにより、風速50m/秒までの風に対する補剛桁の耐風性を確認した。
本橋ではケーブルに作用する応力が上段で2,546tにもなるので、曲げや振動の実験を行った上で、従来の撚り線に替えて、直径5mmの素線154本からなるストランド16本を1本に束ねたプレハブパラレルワイヤーストランドが使われた。防錆被覆剤としてガラス繊維・アクリル樹脂・珪砂からなる樹脂を検討し、耐候性試験を行って採用することを決定した。ケーブルと桁の定着部の構造についても入念な検討が行われた。それを、模型実験、コンピュータを用いた解析、現地での載荷試験で確認しながら建設を進めた。
これらの知見は、今日に至る斜張橋の技術発展に大きく寄与するものであった。
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図3 デザインされた照明柱とガードレール |
saka Metro谷町線・今里筋線の太子橋今市駅から地上に出ると、豊里大橋のA型の塔が間近に見える。それに誘われて淀川の堤防に上がる。
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図2 拡幅された歩道とケーブルをイメージした高欄の装飾 |
塔とそこから伸びる2段のケーブルがよいバランスを見せている。豊里大橋が近代的都市景観の創出を意図して設計されたのはもちろんだが、橋面に立つと、現在の姿は、歩車道を区切るガードレールや照明柱や高欄にさりげないデザインが施されていることがわかる。この歩道は1997(平成9)年に2mに拡幅されたもので、塔の部分は展望デッキのように張り出して淀川の眺望を楽しめる。
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図4 豊里大橋の両岸に名を留める渡しの跡 |
豊里大橋の左岸の堤防上には「平太の渡し跡」、右岸には「平田(へいた)の渡し跡」という碑が建っている。この地は、古代から交通の要衝とされ、舟渡しもかなり古くからあったようだ。これが、1904(明治37)年の淀川改修工事により豊里村が両岸に分断されたときに村営になり、1925(大正14)年の大阪市編入に伴って市営になり、認定道路として無料の運行が続けられてきた。しかし、豊里大橋の完成と同時に廃止され、今は石碑に名を残しているのである。
土交通省が公表している「全国道路・街路交通情勢調査」(平成27年度)によれば、豊里大橋を通行する交通量は1日約31,600台に及ぶ。50年余り前までは渡船で連絡していたとはとても思えない幹線道路だ。この橋により周辺の発展が飛躍的に進んだことは疑いようもない。大阪市北部と東部を結ぶこの橋が、これからも地域において重要な役割を果たしていくことを願う。
(参考文献) 近藤 和夫ほか「豊里大橋(斜張橋)の設計と架設」(「橋梁と基礎」昭和45年12月号所収)
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