廃止に直面した鉄道の再生と進化

高床ホームから発車するえちぜん鉄道の主力車両(左)と低床ホームに停車するki-bo(右)
 ひとつの線路を鉄道タイプの車両と軌道タイプの低床車両が走る光景が福井のえちぜん鉄道で見られる。鉄道の利便性を求めた結果なのだという。本稿では、廃止を決意した京福電気鉄道を引き継いだ同社が取り組んだ、地方鉄道の再生と進化の歩みを概観する。

ちぜん鉄道(以下、「えち鉄」という)は、平成14(2002)年9月に発足した比較的新しい鉄道会社で、「勝山永平寺線」27.8kmと「三国芦原線」25.2kmを有する。しかし、この両線が敷設されたのはもっと古い。勝山永平寺線は、福井県知事が北陸で電力事業を展開していた「京都電灯」に敷設を依頼し、同社が「越前電気鉄道」として新福井〜市荒川(現在の「越前竹原」)間を大正3(1914)年に開業したのが発端だ。北陸では最初の電車だった。その後、路線を大野三番(後の「京福大野」、昭和49(1974)年廃止)まで延伸し、昭和17年に「京福電気鉄道」(以下、「京福」という)に事業を引継いで同社の「越前線」になった。三国芦原線は、昭和3(1928)年に福井口〜芦原(現在の「あわら湯のまち」)間を開業した「三国芦原電鉄」が、翌年に三国町(現在の「三国」)まで、7年に東尋坊口(19年に廃止)まで延伸したもの。17年に京福と合併して同社の「三国芦原線」となった。19年には、永平寺鉄道と丸岡鉄道が京福に併合され、永平寺線、丸岡線となっている。
 ところが、昭和35年の国鉄越美北線の開業に加えて県下全域に自動車が普及したことにより、京福の輸送量は急減した。不採算の支線を廃止して49年には福井〜勝山間、福井口〜三国港間、東古市(現在の「永平寺口」)〜永平寺間
図1 えち鉄に引継がれた京福の路線及びその周辺の路線の形成経緯
の計59.2kmとした。また、貨物の廃止、駅業務の委託化、ワンマン運転の導入などを行って効率化を図った。しかし、経営の立直しは困難として、平成4(1992)年に越前線の東古市以東の廃止を表明した。これに対して越前線の沿線の自治体は強く反発。県も存続の請願を採択し、廃止は見送られた。沿線自治体では利用者増のための施策を実施し、9年に福井県と沿線自治体(現在の福井市、永平寺町、勝山市に相当)は存続に向けて「京福越前線活性化協議会」を設置して利用促進策や行政支援の内容・規模の検討を行い、10年度から支援策を実施した。
うした矢先の12年12月17日、東古市付近で列車が正面衝突し、乗客24名が負傷、運転士が殉職するという事故が発生した。車両の老朽化によりブレーキが破損した列車を、ATS等の安全設備の欠如のために停止させられなかったこ
図2 2度目の事故直後に運転中止を命じられたことを
 報道する記事(2001(平成13)年6月25日付け「日刊県
 民福井」より)
とが原因だった。さらに13年6月24日には、運転士の信号見落としにより再び列車衝突事故が発生。乗員・乗客25名が負傷した。短期間に重大事故が重なったことを重視した国土交通省は、ただちに前代未聞の全線運転中止を命令した。京福は、同社の財政状態では車両更新や安全設備の投資はできないと判断。同年10月に鉄道事業の廃止を届け出た。
 鉄道が運休してからは、バスが代替輸送を行った。始めは1日約8,300人の利用者が影響を受ける問題だと考えられていた。ところが、京福が他社の車両も投入して増発を図っても、朝夕には積み残しが頻発した。所要時間は鉄道の3倍もかかった。このようなことから、通勤客の多くはマイカーに転換、通学生も家族が車で送迎する現象が見られるようになり、代替バス利用者は鉄道の1/3にとどまった。逆に、並行する道路は渋滞が著しく、鉄道を利用してこなかった人にも影響が深刻だった。鉄道の存廃は、鉄道利用者だけでなく、地域全体に及ぶ問題であることが明らかになってきた。報道機関はこれを「壮大な負の実験」と表現し、鉄道会社の経営上の問題だけでは議論できない、インフラとしての鉄道存続の必要性を社会に提起することになったのだった。
 住民からの存続要望を受けて、13年11月、福井県知事と両線の沿線自治体(現在のあわら市、坂井市、福井市、永平寺町、勝山市に相当)は、越前線と三国芦原線を第3セクター方式で存続させることを決定。その中で、県は施設整備を支援し、沿線5市町が運行を担うなどのスキームも合意された。14年9月に沿線市町が出資して「えちぜん鉄道株式会社」を設立し、15年2月には京福から事業譲渡を受けて、7月から順次営業を再開し10月に全線の開業を果たした。
ち鉄にとって最大の課題が安全の確保であったことは言うまでもない。その上で、自らを"運輸業ではなく地域共生型サービス企業"と定義し、乗客に優しい鉄道という方向を打出した。その象徴が、「アテンダント1)」の配置と自動券売機を廃した対面での切符販売だ。アテンダントとは、扉の開閉などの運行業務を担当せず、乗客への案内や乗降の介助など接客に専念する乗務員のことだ。朝夕のラッシュ時間帯を除いてほぼすべての列車に配置される。アテンダントはお客さまの要望等を会社に伝える役割も負う。切符を対面販売するのは、お客さまの年齢層などの属性を把握するとともに、お客さまとの対話を通してサービス施策に生かすためだという。
 図3 福井県北部のDIDの分布(https://www.pref.fukui.
  lg.jp/doc/toukei-jouhou/kokutyou/2015kokusei_d/
  fil/DID-0.pdfより抜粋)
 沿線市町とタイアップした増客の取り組みも積極的であった。路線バスの再編、企画割引なども行ったが、切り札になったのは、駅に無料駐車場を整備して車から鉄道に乗り換えるパークアンドライドの推進だった。現時点で、えち鉄全44駅のうち実に21駅にパークアンドライド用の駐車場が整備されている。図3を見てもわかるように、福井県は鉄道に沿ってDIDが連坦する状況ではなく、福井市などの中心市街地を除けば集落が広い平野に散在しているといってよい。この状況では駅までの交通手段がないと鉄道は利用されない。自動車利用を否定して
 図4 えち鉄が駅前に設けたパークアンドライド用無料駐車場(左)と自治体が設
  けた無料駐輪場(右)の例
公共交通に誘導するのではなく、自動車交通と公共交通を実態に即して使い分けようという施策である。同様に、駅までの利便性を向上させるため、沿線市町は駐輪場の整備にも力を入れている。
て、福井県にはえち鉄と並んでもうひとつ私鉄がある。福井市と越前市武生を結ぶ21.5kmの路線を有する福井鉄道2)(以下、「福鉄」という)だ。JR西日本の北陸本線と1.5km以内の距離で平行するが、短い駅間距離でローカルサービスを行う点でJRとの棲み分けを図っている。福鉄は福井市の中心部でフェニックス通という幹線道路を走る軌道になっており、沿線には公共施設や学校が立地している。
 この福鉄はえち鉄三国芦原線と田原町で連絡しているが、線路はつながっていなかった。これをつなげて両路線を走る電車を設定すれば、えち鉄沿線から福鉄の走る福井市中心部への利便性が向上するであろう。また、福井市を中心に南北に連なる都市間の交通利便性も向上するであろう。22年から関係者(両社、県、沿線自治体、県警、中部運輸局、近畿地方整備局)が両路線の相互乗入れについて検討を始め、福鉄の越前武生からえち鉄の鷲塚針原までを両社の相互乗入れ区間とすることに合意。必要な施設整備に着手した。
 福鉄は軌道区間を有することから、鉄道区間も含めてすべての駅は低床ホームになっており、車両は扉が開くとステップが降りるようになっていた。このままではえち鉄の駅で客扱いができない。そこで、えち鉄は相互乗入れ列車が停車するすべての駅で低床ホームの増設を行った。さらに相互乗入れ運転専用の低床車両も特製してki-bo(キーボ)と名付けた(標題の写真)。こうして28年から「フェニックス田原町ライン」と称して相互直通運転を開始した。
れらの取組みが功を奏してえち鉄の利用者は着実に増加している。運輸総合研究所「都市・地域交通年報」によると、福井県は総世帯数286,201に対し乗用車の登録台数が501,575であり、世帯当たり乗用車数が1.753と
 図5 京福及びえち鉄の利用者数の推移
わが国で最大の値を示している(平成26年値)。いわば最大のマイカー普及県だ。この福井県で、自動車に流れた脚を鉄道に呼び戻すことは、当初は時計の針を逆回しする行為だと思われていた。もちろん、ここに至るまで、設備の近代化などに県や沿線自治体は多額の費用を投じている3)。が、これができるのも、地域全体で鉄道を支えることの市民合意が得られているからだ。「壮大な負の実験」と呼ばれた経験を経て、鉄道の存続は鉄道会社の問題ではなく、乗って支える市民の問題だという認識が定着したのである。
 さらに、えち鉄には「えちてつサポーターズクラブ」というのもある。「「鉄道を次世代に残していこう!」という思いのもと発足したファンクラブ」で、一定の会費を払って(定期券利用者は無料)加入すると、運賃の割引があるほか沿線の加盟店や地元の有名企業の商品購入で特典を受けられる。これも地域ぐるみでえち鉄を盛り立てていこうとするものだろう。
 地方の中小鉄道が経営維持に苦しむのは福井県だけではない。えち鉄の取り組みは全国から注目されている。これが定着して、時計の針の順回しにすることができるだろうか。
(補遺) 三国眼鏡橋
の場を借りて、えち鉄にある土木遺産を
 図6 三国港駅からも見える眼鏡橋 図7 端面に段差のついた煉瓦
ひとつ紹介しておく。三国芦原線の終点 三国港駅の近くにある「眼鏡橋」だ。いわゆるねじりまんぼと呼ばれる斜交煉瓦アーチ橋で、交角は約60゜である。スパンドレルと側壁は石積みだ。鉄道の上を坂井市道三国55号線が越えており、その橋長12m、幅員6.4m。アーチ部分は煉瓦4枚を巻くが、4枚の煉瓦の端面がそろっておらずのこぎり状に段差がついているのが特徴だ。当該区間のえち鉄は、大正2(1913)年に建設した国鉄三国線を昭和19(1944)年に京福電鉄に移管したもの。従って、眼鏡橋の建設も大正2年と考えられる。福井県では唯一のねじりまんぼであり、平成16(2004)年に国の登録有形文化財に指定されている。

(参考文献)
1 福井市・勝山市・あわら市・坂井市・永平寺町「えちぜん鉄道公共交通活性化総合連携計画」
2 日本民営鉄道協会広報部「特集 地方鉄度による相互直通運転への挑戦 えちぜん鉄道・福井鉄道の取り組み」(「みんてつ」Vol.60 Winter2017)
                                                                            (2021.07.16)
   

1) アテンダントの嶋田 郁美による「ローカル線ガールズ」(KADOKAWA)は、会社の想いを実現しようと接客に奮闘するアテンダントの姿を描く。また、2018年11月から公開された映画「えちてつ物語〜わたし、故郷に帰ってきました。〜」にもアテンダントの奮闘ぶりが描かれている(http://gaga.ne.jp/echitetsu/に予告編がアップされている)。

2) 福井鉄道は、大正10(1921)年に設立された「福武(ふくぶ)電気鉄道」が前身で、昭和20(1945)年に「鯖浦電気鉄道」などを合併して改称するも、
その後、鯖浦線、南越線を廃止して福武線だけになる。鉄道事業は昭和38(1963)年から赤字が続き、同年に名古屋鉄道の傘下に入っている。しかし、平成19(2007)年度の国の会計制度の変更により銀行融資が困難になり、自主再建は困難として県・沿線3市に支援を要請した。名古屋鉄道が経営から撤退し沿線3市の商工会議所や住民サポート団体が出資する形で再建。えち鉄と同様の営業施策の強化や利便性向上が図られ、利用客が増加している。右図は福鉄が投入している低床車両「FUKURAM」。

3) 国では「鉄道軌道安全輸送設備等整備事業補助」により、安全施設等の整備に要する費用の一部を国庫で補助する仕組みを構築していたが、これは事業費を国、地方公共団体、鉄道事業者が1/3ずつ負担することになっていて、財政力のない事業者には利用しづらいものであった。福井県では、事業者負担分も県が補助するという独自の制度とし、10年間で39億円を分担した。また、沿線市町では、トイレ・駐輪場等の整備、駅の新設などを行っているほか、運賃補助などの利用促進策を講じている。