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水橋は、低い位置に架橋されて橋長を短くできることから低廉な費用で速やかに作ることができる反面、増水時には橋として機能しなくなるという欠点を持つ。また、洪水時に流水の障害にならないように高欄などの転落防止設備を持たないものが多く、通行には注意が必要である。災害時にも安全な道路を維持する必要が認識され架橋技術も向上してきた近現代においては新たに採用されない形式であるが、それまではよく見られるものであった。確たる統計は存しないが、茨城県・埼玉県・三重県・徳島県・高知県・大分県などに比較的よく残っていると言われる。 |
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図1 木津川中流の2つの潜水橋の位置 |
稿では、木津川中流域にある2つの潜水橋を紹介することにしよう。木津川は、三重県伊賀市の青山高原に源を発し京都府八幡市で宇治川・桂川と合して淀川になる、幹川流路延長99km、流域面積1,596km2の1級河川である。伊賀盆地から「岩倉峡」を通り抜けた木津川は、京都府に入ったあたりで名張川を合わせて川幅を広げ、浅くて伸びやかな流れに変わる。ここにあるのが「恋路橋」である。JR関西本線大河原駅を出て旧国道163号を横断したところに木津川に降りるスロープがあり、簡単に橋に到達することができる(標題の写真)。
この付近では戦前までは舟で渡河するしかなかった。木津川の左岸にある
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図2 上流側の水切りから恋路橋の橋脚が石でできていることがわかる |
南大河原地区から駅のある北大河原地区へ行くのに重要で、運賃は南大河原地区の住民は無料、他の者は2銭であったという。ここに架橋する計画が持ち上がったのは昭和14(1939)年のことだった。村では、村内でとれる柳生花崗岩を使って簡便な潜水橋を建設することとして京都府や木津川土木工営所に出願したが、戦争が激しさを増す中でなかなか架橋に至らなかった。ところがこれが急遽促進される事態が生じた。18年に田山・高尾地区で豊富な亜炭1)が発見されたのである。戦時中、わが国は燃料不足が深刻であったので、これを大規模に採掘することが即決され、併せて亜炭を大河原駅に運ぶための「亜炭道路」が突貫工事で建設された。橋梁には、長さ約4.4m、幅約0.5m、厚さ約0.5mの大きさに加工した石材を120本使用した。橋長約95.3m、幅約3.6m。現在は舗装等により被覆されているが、橋脚の上流側の水切り2)や床版の裏面を見ると、石材を使用していることがわかる。なお、天満宮社境内に建てられた「架橋顕彰碑」(昭和22年)によれば、本橋の正式名は「大河原橋」といったようだ。
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図3 裏面から見た恋路橋の床版 |
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図4 右岸下流から見た潜没橋 |
簡易な構造ではあったが、大河原橋は、名張川流域の諸地域を国道163号と結ぶという重要な役割を負っていた。しかし、昭和43年に高山ダム3)建設に伴う公共補償により上流に永久橋である「大河原大橋」が建設されたことにより、その重要な役割を譲って今は地域の利用に供されている。平成8(1996)年、地域振興の意味を込めて南山城村商工会が愛称を募集し、恋路橋の名が与えられた。この名に曳かれて訪れる男女もあるそうだ。左岸にある「恋志谷神社」にちなむ命名であるが、神社自体は、笠置山に立てこもった後醍醐天皇に会うために病身を押して駆けつけた寵姫が、すでに天皇は移動されていることを聞いて落胆と持病の悪化により自害したという悲話に基づく。
う一つの潜水橋は、隣の笠置町にある。「潜没橋」というのがこの橋の名称である。飛鳥路地区に向かう町営マイクロバスが走る町道有市柳生線にあり、PC単純プレテンション床版橋60.1mとRC連続床版橋39.9mから成る。幅員約2.8mという小規模なものだが、橋長100.0mは町が管理する橋では最長だと言うことだ。昭和37(1962)年の架橋で、潜水橋としては比較的新しい。37年といえば阪神高速道路公団が設立された年。わが国が戦後復興から高度成長に移る時代にあって、都市に多大の投資がなされる一方、地方部には抜水橋を架けるのが困難なほど財力に乏しかったということだろう。
水橋は、治水上や利用者の安全上の課題があることから、抜水橋に架替えられる事例が多い。一方、人が水面に近づけることから近年は親水性の評価が高まっており、ヒューマンスケールの規模が日本の河川の原風景の一つとして見直されている。例えば、高知県では「四万十川沈下橋保存方針要項」を定め、生活・文化・景観・親水・観光等の観点から重要としたものは被災した場合でも原形復旧する方針を明確にしている。また、わが国最古の石造潜水橋である大分県杵築市の龍頭(りゅうず)橋や別項で紹介した木津川の上津屋橋は、土木学会から選奨土木遺産に認定されている。 |
(参考文献)
1.南山城村史編さん委員会「南山城村史 本文編」
2.見城 英治「潜水橋に市民権を」(リバーフロント研究所「RIVERFRONT vol.41」所収)
(2020.08.28)
1) 石炭の中で最も炭化の進んでいないもの。2〜7千万年前に当たる新生代第三紀の森林を起源とする。浅くて柔らかい地層から採れるので掘りやすいというメリットはあるが、不純物や水分を多く含むため着火性が悪く得られる熱量も少ない。また、燃焼時に独特の臭気や大量の煤煙を出す。従って、戦後は都市ガスや石油などへの転換が進み、現在は燃料として用いられることはない。
2) 橋脚に作用する水流の影響を軽減するために、橋脚の上流側を鋭角もしくは円弧状に突出した形状とすること。
3) 昭和28(1953)年の水害を契機に進められた淀川の総合開発計画の一環として、洪水調整・農業用水確保・上水道供給・水力発電を目的に、木津川支流名張川に計画されたダム。堤高64.0m、堤体積214,000m3の重力式アーチダムで、湛水面積260ha、有効貯水容量49,200,000m3である。京都府・奈良県・三重県にまたがる196世帯が水没する上、国の名勝に指定されている月ヶ瀬梅林の一部が水没することから調整に難航を極め、完成は昭和44年であった。木津川本流にはダム適地がないので、この後、名張川の上流に青蓮寺ダム(45年)・室生ダム(48年)・布目ダム(平成3(1991)年)・比奈知ダム(10年)が相次いで完成し、統合して運営されている。
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