関西に火山災害の恐れはないのか

葛城市から望む二上山
 最近、木曽御嶽山や草津白根山において、鳴りを潜めていた火山が突如噴火して死傷者が出る災害が起きている。関西には活火山を観測している個所が皆無だが、突如 火山災害に見舞われる心配は本当にないのだろうか。そこで、約1,400万年前に活発な噴火活動を行っていたと推定される二上山の麓にある「香芝市二上山博物館」を訪れ、火山について学んだ。


本列島には多くの火山があり、美しい風景や温泉などを提供してくれているが、一方では不意に噴火を起こして災害をもたらす。火山のうち、およそ1万年以内に噴火したことのある火山と現在も噴気活動が見られる火山を
図1 日本付近のプレートと火山の配置
「活火山」と呼び、わが国でのその数は111に及ぶ。
 地球は、中心から「核」、「マントル」、「地殻」という層構造に なっていると考えられているが、このうち地殻と地殻に近いマントルは厚さ100kmほどの硬い板状の岩盤になっている。これが地球の全周では10枚余りの「プレート」に分かれていて、それぞれが少しずつ動いている。日本列島の周囲を見ると、太平洋プレート・フィリピン海プレート・ユーラシアプレート・北米プレートという4つのプレートがひしめき合っており、このうち海洋プレートである太平洋プレートやフィリピン海プレートは大陸プレートであるユーラシアプレートや北米プレートに向かって年間数cmずつ動いている。これは、わが国で地震が多い理由であると同時に、火山が多い理由でもある。
図2 プレート境界で起こる現象
 海洋プレートは大陸プレートより密度が高いため、両者がぶつかると海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込む現象が起きる。火山は、図1に見るように、海洋プレートと大陸プレートの境界より少し大陸プレートに寄ったところに列状に分布しているのが明らかであるが、プレート境界と火山の位置の関係については、図2のように、@海洋プレートが沈み込むとき、大陸プレートの下層を構成するマントルを引きずり込む、Aこれが地下100kmくらいのところで溶融してマグマになる(海洋プレートが運んできた水が高温・高圧により放出され、これが溶融を促しているらしい)、B地中に蓄えられたマグマが地上に噴出して火山になる、というメカニズムで説明されている。火山がプレート境界からどれくらい離れたところにできるかは、海洋プレートの沈み込みの角度に関係することになる。
 ここで、図1に戻って関西付近に注目すると、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むさらにその下に東から太平洋プレートが潜り込む構図になっていることがわかる。従って、フィリピン海プレートはなかなか下がることができず、そのため、図2に示すようなマントルが溶融してマグマができる現象がプレート境界付近では生じないというのだ。よって、関西には活火山がない。
を加えて作成)
かし、地質を調べると、関西にも火山に由来する岩石が見られる地域がある。大阪府と奈良県の境にある二上山もそのひとつだ。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2つの山頂をもつ美しい風貌は、大和の人からは夕日の沈むところとして古くから死霊の鎮まる神聖な山とされた。
図3 二上山付近の地質図(「二上山博物館」の展示に他の情報
謀反の疑いをかけられて弱冠24歳という若さでこの世を去った大津皇子が雄岳の山頂に眠る。また、古代には石器に使用されたサヌカイトや高松塚古墳などの石棺に使われた凝灰岩の産地として重要であったし、
図4 「河内名所図会」に描かれた金剛砂の採取、旅人が足を止めて眺めている(大阪市立図書館所蔵)
ザクロ石が風化した金剛砂は研磨剤として明治時代には全国の90%のシェアを占めた1)
 二上山で著名なのは、北に広がる屯鶴峯(どんずるぼう)だ。火山から噴出した火砕流が麓の湖に堆積し、その後の地殻変動で隆起したのが風化・浸食してできた凝灰岩の山だ。灰白色の断崖が流線状の縞模様を作り出す独特の景観は、奈良県が指定する天然記念物。このような岩石が分布することから、二上山は火山であったことが明らかだ。図3に示すように、火口は雄岳から北東方向に広がるカルデラにあったと考えられているが、周辺の火山岩の分布の広さから、大規模な火砕流が何度も発生したことが伺える。
図5 風化した凝灰岩が露出する呑鶴峯の奇観
射年代測定から、二上山が活動したのは今から1,500〜1,400万年前だとされている。その後、新たな噴出物が供給されないままに表面がどんどん浸食され、現在は芯の部分しか残っていない状態になっている。
 ところで、1,400万年前と言えば、西日本の島と東日本の島がぶつかって、本州が今のように1つの島になった時期だ。今のわが国周辺のプレートの状況とは異なる。一方、このようにして形成された列島に人が移り住んできたのは今から4万年前と言われる。人が来たときには火山活動は遠く昔に終わっていた。よって、
図6 二上山で見られる火山岩、左から流紋岩、安山岩、凝灰岩
二上山は人には全く被害を与えておらず、人は希少な岩石などの恩恵だけを受けてきたことになる。 地質の時代スケールと人類史のそれとは全く違う。地球の歴史は途方もなく長いのだ。かつて関西に火山は存在したが、1万年を単位とする人類史の尺度で見る限り現在の関西には火山災害の恐れはないと言える。

(2018.03.16)

1) 金剛砂の採取・販売を近代産業に育てたのは、当地出身の安川 亀太郎(安政4(1857)〜大正14(1925)年)で、金剛砂をサンドペーパーに加工して販売した。戦時中は軍需物資になって、生産がおおいに増大した。二上山駅北西の西穴虫地区に顕彰碑(右図)が建つ。