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図1 ピルツ区間のコンクリート橋脚が倒壊した映像は世界に衝撃を与えた |
庫県南部地震での阪神高速道路の被害は大きかった。3号神戸線の東灘区では、18径間のゲルバー型コンクリート桁を有するピルツ構造のコンクリート橋脚が約635mにわたって倒壊した。このほか、西宮市の2箇所、神戸市中央区と長田区で落橋し、5号湾岸線でも西宮港橋に隣接する桁が落橋に至った。
これらの被害により阪神高速道路は最大で622日の間 通行ができなくなり、被災地の復興に寄与できなかったばかりか、中四国以西や中部・北陸以東に関係する広域的な交通にも支障を生じた。残念なことであったと同時に、道路の重要性を改めて痛感させられたのも事実だ。
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図2 コンクリート橋脚の損傷の2つの典型的なタイプである曲げ破壊(左)とせん断破壊(右) |
庫県南部地震による上下部工1)の被災事例を見ていこう。この地震では、橋脚の被災が著しかったことが特徴である。まずコンクリート橋脚について見ていくと、図2の左に示したのが一つの典型的な壊れ方で、重い上部工を載せた橋脚が揺さぶられ揉まれることによって、コンクリートの割れや鉄筋の孕み出しが生じたものだ。これを「曲げ破壊」と呼ぶ。もう一つの壊れ方は、コンクリートがばっさりと断裂して、裂け目より上の部分がずり落ちてしまったもの。これを「せん断破壊」と呼ぶ。このタイプは数は少なかったが、ひとたび発生すると上部工を全く支持できなくなり、上部工が折れ曲がったり(これを「座屈」という)場合によっては落橋(図7)したりする重篤な事象へとつながる。次は鋼製橋脚の損傷を見る。鋼製橋脚においては局部的な座屈や溶接部の割れが多くみられたが、
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図3 鋼製橋脚に見られた提灯座屈 |
図4 激しく圧壊した鋼製橋脚、橋脚内部をさらに補剛しておく必要があったということ |
図3のように円周外側に孕みだす「提灯座屈」または「象足座屈(elephantfoot buckling)」と呼ばれる特異な現象も見られた2)。また、損傷が特に重大だったのは建石交差点の鋼製橋脚で、座屈により鋼板の溶接部が断裁されて、根巻きコンクリートが充填された約70cmを残して完全に圧壊した(図4)。
れらの橋脚が作られた頃
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図5 震度法の考え方 |
(正確には昭和46(1971)年に耐震基準3)が制定されるまで)の設計においては、大正5(1916)年に佐野 利器(としかた)(明治13(1880)〜昭和31(1956)年)が考案した「震度法」が用いられていた。これは、地震時には地盤の揺れに応じた水平方向の力4)が橋梁に作用すると考え、この力に耐えるように必要な個所に必要な補強を施すことによって、地震時には一定の変形が生じても地震がやめば元に戻るとする設計法だった。
現在の知見からこの設計法を批判することは簡単だ。まず、地震力の設定である。地震とは繰り返して力が加わる振動だ。にもかかわらず、振動に関する振幅・周波数・継続時間などの要素を考慮せずに水平力だけに注目するのはいささか簡略化しすぎの感がある(この設計法が提唱された時は計算技術の限界からそのような簡略化もやむを得なかったのだろう)。また、地震がやめば元に戻るようにするという設計思想は、想定される地震によって壊れない構造物を追求する余り、想定以上の地震が来たときにどのように壊れるのかという考察から遠ざける結果になったことも否定できない。
上記のような欠点は兵庫県南部地震が起こる前に気づかれており、コンクリート橋脚については、平成2年に「地震時保有耐力法」により照査するとの基準の改訂がなされていた。そして、地震から41日目にとりまとめられた「兵庫県南部地震により被災した道路橋の復旧に係る仕様」では、鋼製橋脚も含めて地震時保有耐力法が全面的に採用された。今後まれにしか起こらない地震動について、構造物が地震に見舞われたときの加速度を周波数ごとにグラフ化して設計条件として与えたものを「レベル2地震動」と定義し、橋脚や桁が一体となって揺れると考えて耐震性を検討する設計法だ。 |
このような大きな地震では、全く損傷しない下部工を作ることはあきらめた方がいい。むしろ、少し損傷した方が、その部分が撓んで地盤の揺れを上部工に伝えないというメリットもあるのだ。ここで重要なのは、構造物のどの部分にどのような損傷を許すかということと、損傷を受けても機能を失わない“ねばり”だ。コンクリート橋脚においては、せん断破壊は決して起こさないようにすること、曲げ破壊も応急復旧が容易な橋脚の根元付近に誘導することが設計方針とされ
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図6 復旧に際して定められたコンクリート橋脚の新しい仕様 |
た。後者に関しては、従来の設計では力のかかる根元付近には補強の鉄筋を多く配置し上に行くほど鉄筋量を減らして(「段落し」という)いたが、今後は上から下まで鉄筋量を変化させないこととされた。かなり手厚い補強のように思えるが、曲げ破壊の起こる位置を限定するための割りきりだろう。“ねばり”を持たせるためには、上下に走る鉄筋を外側から鉢巻のように縛る「帯鉄筋」を充分に配置することにより、図1のように鉄筋がばらばらになったり図2(左)のように鉄筋が孕み出したりするのを防ぎ、鉄筋に囲われた内部のコンクリートを守ることとされた(既存橋脚を補強する場合は、鉄筋を増やす代替として、鋼板を巻きつけるという手法が採られた)。鋼製橋脚においては、橋脚の内部をコンクリートで埋めることが、座屈を防ぎ“ねばり”を持たせるのに有効とされた。 |
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図7 下部工が損傷して落橋 した例
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図8 支承が損傷したため桁が橋脚からはずれて落下した例、支承の重要性が強く認識された
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図9 上部工に関連する被災、支承からはずれた桁が支承に衝突して損傷(左)、隣接する桁が異なる動きをしてジョイントが破損(中)、桁が破断して落橋防止装置が機能しない(右)事例 |
に上部工の被災を見ていこう。上部工においては、下部工の損傷が原因となって桁が落下(図7)したり座屈した例があったほか、上下部工をつなぐ支承が損傷して上部工が逸脱した例が多かった。その結果、重大な事象としては落橋に至ったケース(図8)もあった。支承からはずれた桁が支承に衝突して変形する例や隣接する桁が異なる移動をしたためにその間のジョイントが破損する例はいたる所に見られた。それまで、支承は荷重や温度変化による桁の移動を吸収する役割が期待され、損傷すれば取り替えることができるとして重視されなかったが、地震時には上部工と下部工がそれぞれに揺れるのを拘束する機能が必要だったのである。それに耐えられなかった支承の破断が大きな被害につながることが認識された。同時に、落橋防止装置が有効に機能しなかったことも認識できた。
前記の復旧仕様では、このような被害を再発させないため、上部工についてはできるだけ連続構造とし、積層ゴムを用いた免震支承を採用して上部工に伝わる地震力の低減を図ることとした。その上で、不測の事態に対応するため、橋脚の幅を広くして桁かかり長を確保し、落橋防止装置は衝撃的な揺れにも対応できるものに変更した。
するに、
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図10 復旧に際して採用された上部工の耐震対策 |
復旧仕様の要点は、まれにしか起こらない大きな地震によっても、特定の部位が“上手に壊れ”て全体としての構造系を保持する“ねばり”ある下部工と、下部工から落ちない上部工ということだ。被災した構造物が仕様に基づいて復旧されるのと並行して、被害を受けなかった構造物についても復旧仕様と同等の耐震性能を持たせるように補強が行われた。この補強は、緊急輸送路などの重要な橋梁について、段落しのあるコンクリート橋脚や単柱の鋼製橋脚を中心に全国で精力的に進められた。思うに、耐震補強は効果を挙げているのではないだろうか。例えば、平成16(2004)年新潟県中越地震では、補強が完了した上り線の橋梁は損傷がなく補強が未了の下り線では段落し部で損傷が見られたという例が報告されている。先年の熊本地震でも、落橋した2橋は耐震補強が未実施であり、それ以外には落橋が生じていないことが確認されている。
神高速においては、復旧仕様に示された“上手に壊れ”るという設計思想がさらなる発展を見せている。そのひとつが長大橋の耐震対策だ。港大橋は総重量4.5万tにも及ぶトラス橋で、地震で揺れた時にそれに抵抗するの
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図11 港大橋に取り付けられた制震ブレース(中央付近の2本で構成されているように見える部材) |
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図12 2号淀川左岸線海老江ジャンクションに建設された鋼管集成橋脚 |
は不可能だ。そこで、路面の揺れが主構と呼ばれる重要な部材に伝わらないように「すべり免震支承」を設置するのと併せて、補助的な部材を「制震ブレース」に取り換え大きな地震の際にはこれが先に損傷することによって主構に伝わる地震力を軽減する、という対策が取られた。これらにより、特徴的なフォルムを痛めることなく耐震性能の向上を実現した。これは土木学会田中賞を受賞している。もう一つ、海老江ジャンクションや西船場ジャンクションで採用されている鋼管集成橋脚を挙げよう。これは、4本の鋼管が横つなぎ材で連結されて一体化した橋脚であって、横つなぎ材が地震の揺れを吸収するので、大きな地震のときには横つなぎ材が損傷して上部工を支持する鋼管の損傷は抑制される。よって、被災後
ただちに交通開放が可能となる。このアイデアは10年に及ぶ研究開発の末に実現し、土木学会技術開発賞を受賞した。
兵庫県南部地震では、阪神高速道路の倒壊や落橋に関連して16名の命が失われた。その後もわが国はたびたび地震に見舞われているが、兵庫県南部地震の教訓に基づく対策が講じられた結果、橋梁自身が損壊して人が亡くなることは聞かなくなった。しかし、熊本地震では、高速道路を横断するロッキングピア5)形式の橋梁が落橋するという事象も起きている。耐震設計はかなりいいところまで行ったかもしれないが、まだゴールは見えない。また、最近の地震では、津波で流されたり架橋地点が地滑りに見舞われるような被害が目立つような気がする。橋梁計画がより上流の都市計画や地域計画の中で検討されなければならないことを物語るものであろう。
庫県南部地震で支承が損傷した東神戸大橋の高架下に、平成11(1999)年、震災資料保管庫が開設され、それまで貝塚市で仮置きされていた被災構造物が収蔵された。研究・教育目的で関係者に見学いただいてきたが、21年に一般にも公開できる形でリニューアル。被災構造物を展示するとともに、2次災害防止のための応急補強や撤去のために使われた工法、全線復旧までの623日間の記録、地震を教訓に新しく開発された耐震技術を紹介している。
今日のわが国の耐震技術の原点はまちがいなく23年前の被災の現実にある。震災資料保管庫で無残に破壊された姿をさらす被災構造物は、いずれ襲うであろう東南海地震や上町断層地震に備え、さらなる耐震技術の高みに向けて限りなく技術者突き動かし続ける。 |
(参考文献) 川島一彦「地震との戦い―なぜ橋は地震に弱かったのか」(鹿島出版会)
(謝辞) 本稿に掲載した被災構造物の写真は阪神高速道路より提供を受けた。
(2017.06.20)
1) 橋において、連続した交通路を形成する部分を上部工、それを所々で支える部分を下部工という(右図参照)。
2) この現象は、当初は上下方向の揺れによるものとされたが、水平方向の繰り返しの揺れで生じることが確認されている(三木千寿ほか「繰り返し水平載荷実験と弾塑性解析による鋼管柱の耐震性能の検討」(土木学会「鋼製橋脚の非線形数値解析と耐震設計に関する論文集」所収)。
3) 昭和39(1964)年の新潟地震の経験を踏まえて制定されたもの。@地盤の揺れではなく構造物の揺れに基づいて設計するという思想(「修正震度法」と呼ぶ)が導入されたこと A世界で初めて液状化の判定を盛り込んだこと
B落橋防止装置の規定が設けられたこと など、画期的な内容を含んでいた。右図は新潟地震の被災の事例で、液状化により橋脚が転倒して桁が落下した昭和大橋(1964年新潟地震オープンデータ特設サイト(http:
//ecom-plat.jp/19640616-niigata-eq/group.php?gid=10050)による)。
4) この力が関東大震災(大正12(1923)年)での観察をもとに設定されるようになったことから、震度法で設計すれば関東大震災にも耐えると喧伝された。
5) 上下端が回転を許す構造になっている橋脚であり、水平力を支持する機能を有していないため大きな変位が生じると不安定になる特殊な構造。水平力を負担しないので橋脚を細く基礎を小さくでき、狭いところに建柱しなければならない時に、水平力を他の橋脚等に負担させることとしてこの形式が採用される。
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