能勢デマンドバス
最新鋭と言われたバスシステムの誕生とその後 |
能勢町を走る阪急バス |
昭和47(1972)年、「大阪のチベット」とも呼ばれた能勢の山あいに最新鋭のバスシステムが登場した。デマンドバスである。当時、公共交通の分野でセンセーショナルな話題を呼んだデマンドバスのその後を辿ってみたい。 |
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和40年代のことである。能勢町は大阪府の最北端にあって、小さな集落がいくつかの幹線道路に沿って点在する、人口が1万人に満たない町であった。主な交通機関は能勢電鉄の山下駅や阪急電鉄の池田駅に行く阪急バスだったが1)、高度経済成長の影響で人件費が急騰するにも拘わらず政府の物価政策により運賃が低く抑えられていることなどが影響して、経営は急速に悪化していた。町内の自動車保有率が増加(1戸あたり1.5台)したこともあって、能勢町から池田市に行く路線は営業係数256、能勢町内の路線は1,076にもなり、年間4,700万円もの赤字を計上した(昭和46年度)。このような事態に、バス会社は能勢町に対して町内の路線の廃止を申し入れたが、町はむしろ路線の拡張や増強を希望しており協議は難航した。この中から生まれた提案がデマンドバスシステムだったのである。
常の路線バスが決められた時刻表のとおりに決められた停留所を回るのに対し、ある一定の範囲内において乗客のリクエストに応じて運行するバスをデマンドバス(Demand
Responsive Transport)という。そもそもデマンドバスのアイデアは1965年にマサチューセッツ工科大学の学生論文で発表されたもので、阪急バスでも多様化しつつある交通需要に応えるため、コンピュータによりコントロールするデマンドバスの研究を、仁川への導入を念頭に昭和45(1970)年頃から始めていたという。が、能勢では投資できる額に限りがあったので、実際に導入されたのは、電話で申込みを受けたオペレーターが運転手に無線で運行の指示をするという、きわめてマニュアリーなシステムだった。
町内には有線電話が整備されていたし、一般加入電話や公共施設等におかれた公衆電話を利用すれば、電話のカバー率はほぼ100%と見込まれたのが幸いした。47年6月から実施。このシステムのために小型バス4台を導入し、バス停名を記したボタンと音声無線通信機を運転席に、ボタンの操作により停車する停留所が表示されるモニターを客席に取り付けた。コントロールセンターには運転手のボタン操作により画面にバスの位置が表示されるモニターと運転手と通話するための無線通話装置を装備した。1回の輸送需要が完結するまでの手順は次のとおり。@客はコントロールセンターに電話で出発バス停、目的バス停、人数、希望時刻を告げる
Aオペレーターはモニターを見て最適なバスを検出し、バスの到着時刻を告げて旅客との契約を成立させる
Bオペレーターは運転手に無線で旅客との契約内容を連絡する C運転手は指定された停留所に客を迎えに行く
D客は行き先を告げて運賃を支払う E運転手は客を目的バス停まで送り降ろす。この間、運転手は停車するバス停名のボタンを操作して乗客に当面の走行予定を知らせ、コントロールセンターに位置情報を送るのである。
この、バスとタクシーの特徴を併せ持ったシステムを導入するに際し、阪急バスは能勢町にマイカー依存からの脱却を要望した。町は、イベントなどでバス利用を促進することを約すとともに、バスの転回場の提供などの協力を行った。
デマンド方式を採ることにより、乗客のいない区間は走行しなくてすむから効率化が図られる。デマンドバスの運行拠点を「能勢町役場前」とし、そこから方向別に3系統にまとめたが、それまではここには14系統の路線バスが走っていたのだ。同時に山下駅や池田駅に行く定期路線便は国道173号経由に統合し、町内の集散はデマンドバスとの乗継ぎによることとした。この合理化により、阪急バスではそれまで路線バスが通っていなかった杉原地区や石堂地区もデマンドバスのエリアに加えることとした。一方、乗客から見ればそれまで1日に数本しか運行が無く、適当な時間帯に便がなかったり乗り遅れれば何時間も待たなければならなかったのが、30分ほど待てば確実にバスが来てくれるようになった。この利便性を町民は評価した。例えば、これまで4往復の運行があった長谷地区では1日の乗降客は30人だったのが
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図1 能勢にデマンドバスが走っていた頃の風景(出典:「阪急バス50年史(1979年)」) |
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図2 昭和63年7月改訂ダイヤにおける定期路線バスとデマンドバスのルート |
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図3 デマンドバス廃止後の定期路線バスのルート(平成21年11月改正ダイヤによる) |
デマンドバス運行後は100人に増加した。
始めてみると問題点もあった。朝の多客時に1人が1分間電話をふさげば1時間に60人さばけない状況になったため、定期的に乗る人は乗らないときだけ電話をすることとした。また、1人で乗るのにわざわざ来てもらうのは悪いからと遠慮する人もいたので、町では毎日3回
バスの利用を促す有線放送を流した。新興住宅地が開発されたりリゾート施設が立地したりして、デマンド化から10年後の57年には乗車人員は1日300人程度、営業係数も400程度と、デマンド化する前の半分くらいになり、一応は成功といえるようになった。能勢町民の生活の一部となった感のあるデマンドバスであったが、その利用者層は主婦、児童、高齢者等のトランスポーテーション・プアが85%を占めた(「地域交通と新技術」辻 弌郎(「地域開発」1982.3)」。デマンドバスの避けがたい弱点として、目的地までの経路や所要時間が他の乗客との関連によって利用のたびに変動することから、時間にシビアな通勤・通学目的には不向きだったからである。
57年には一庫(ひとくら)ダムにより道路が立派に付け替わり、翌年には国道173号の整備が天王まで完成するなど、能勢の自動車走行性は格段に向上した。これまでも主に車を利用していた通勤者に加えて、主婦が自ら車を運転したり、高齢者が家族や知人に送ってもらうことも珍しくなくなった。こうなると、デマンドバスの輸送人員は減少を始め、60年には1日150人にも満たないようになった。
ところで、国鉄は篠山口〜福住まで篠山線を開通させていたが、能勢町は福住まで国道173号にバスを走らせることを国鉄に要望しており、これに応えて昭和29(1954)年に森上から同町の最北端の天王を経て福住・篠山までの運行が開始された。1日に3往復程度の運行があったようである。しかし、これが62年に廃止されるに当たって阪急バスに路線が引き継がれ、同社のデマンドバスが摂津天王まで乗り入れることとなった。が、利用者が少なく、5年後の平成4(1992)年に廃止。その代替として町立西中学校のスクールバスという位置づけで摂津天王〜森上間の運転が開始された。
結局 能勢町は車に依存した地域構造を変えることはできず、バス利用者の減少にも歯止めがかからなかった。9年10月をもってデマンドバスは全廃。主要区間のみが定期路線バスとして運行され、長谷地区や上杉地区は路線がなくなった。能勢町では、年間3,800万円を支出して町営の福祉バスや保育所バスなどの形で(このほか、阪急バスへの補助が年間2,500万円あり)町内の公共交通の存続を図ったが、福祉バスの利用率の極端な低さからこれも長くは続かず、19年3月に廃止されて4月からは能勢町社会福祉協議会など2団体による福祉有償運送2)が開始されている。 |
肉なことに、能勢デマンドバスが廃止された頃から、デマンドシステムは各地で注目されるようになった。高齢者等のモビリティを確保するために公共交通を維持する動きの一環である。公営の福祉バスやコミュニティバスを始め、バス事業者もゾーンバスやデマンドバスを次々と導入するようになっている。過疎地においては問題はさらに深刻だが、京阪神地区に限ってもデマンドバスの実証実験や試験導入が大阪市南港地区(平成13年)、けいはんな学研都市(14〜15年)
、堺市(20年)などで行われた。これらを先導する取り組みとなった高知県中村市(12年)の例では、デマンドバスの導入によりバス利用者は1日7人から50人と7倍に増加したのに対し費用は700万円から1,700万円と2.4倍ですんでおり、デマンドバスの弱点といわれる予約時刻についても満足度92%と、高い評価を得た(http://www.jice.or.jp/
itschiiki-j/benefits2001/t3-10.html)。これはコンピュータの高度なアルゴリズムにより、予約時刻に遅れないようにデマンドを処理する技術が適用されている効果であると思われる。近年では、路線バスに比べて無駄な空車走行が少ないことが環境にいいとの視点からも評価されているようだ。
ひとくちにデマンドバスと言っても、家庭のPCや公共施設などに設置した端末からホストコンピュータにアクセスすればコンピュータが自動的に配車計画を策定する本格的なシステムから、集落内の停留所のボタンを押したときはバス
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図4 旅客輸送の機関別分担率の推移(人キロ) 国土交通省平成23年度年次報告」より作成 |
が寄ってくれるがそうでない時はバイパスをスルーするという単純なものまで、様々なレベルでの模索が続けられている。また、事業者によっては、戸口まで来てくれるという、乗り合いタクシーと変わらぬサービスをするものもある。このような努力が功を奏しているのであろうか、ここ10年は旅客輸送に占めるバスの分担率は下げ止まりを見せている。あと一息だ、
がんばれ バス!
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(参考文献) 能勢町デマンドバスについて, 阪急バス路線物語(http://hkbusst.blog106.fc2.com/),http://hkbusst.web.fc2.
com/file/nose_demand-bus.pdf,2013年6月19日閲覧
1) 阪急バスのほか、亀岡市に本拠を置く京都交通が、国道477号沿線において吉川(妙見口駅)から奥田橋まで路線バスを運行し、数便は宿野から今西まで乗り入れていたが、両社の間に特段の連携はなかった。なお、平成15(2003)年に京都交通は湯ノ花温泉以南の路線から撤退、能勢町内の路線は阪急バスに引き継がれている。
2) 道路運送法第78条第2号(平成18(2006)年改正)の規定に基づく「自家用有償運送」のひとつ。運行団体に会員登録をした者が事前に行き先を告げて送迎を依頼する。能勢町の場合は会員は原則として町民、行先も町内に限定されている。運賃は一般のタクシーの半額程度。 |
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